《宇宙旅行》徒然草-74

高校入試の日、大雪だった。1968年だろうか、その頃の記憶だが、私は地元の高校ではなく、汽車で1時間半もかかる池袋にあるS高校に受験した。志望動機は東京に行きたかった、唯それだけで、それとS高校の名前に惹かれて選んだ。
当時は機関車が客車を引いていく列車で、出入口は前と後と二箇所あるだけで、それも狭く乗り降りは至難を極めた。ほぼ鮨詰め状態で、赤羽まで行き、そこで乗り換えて池袋で下車して1~2分の所にある、校庭のない古めかしい木造校舎だった。

大雪の受験日に父親が付き添ってくれた。車中何を話していったか、全く記憶にないが、隣におやじが居たことは確かだ。頼んだ訳ではなかったと思うが、おやじが自主的にそうしてくれたのか、今となっては確かめようもないが、どこか安心し、心強い想いで試験に臨んだことは記憶にある。
そのお陰かどうか、S高校に見事合格し、大金の入学金を払い、めでたく私の東京通いが実現した。埼玉の片田舎から毎日花の大都会、東京に行けることは、当時の私にとっては宇宙旅行に等しかった。

目眩く都会のネオンと雑踏の中を一人で闊歩する私は、それだけで英雄だった。デパートは東に西に、新宿、渋谷、秋葉原などなど自在に歩き廻った。そして映画を観たり、ボーリングしたり、ひたすら遊び廻った。
それは私の宇宙旅行だった。今はその輝いていた星も唯の巨大な建造物が集中しているどこか石塔が櫛比する墓園のように見えて仕方ない。
精神分析家 蘇廻成輪