《大和魂》徒然草-73

通り魔や暴走車が子供の列や通りを歩いている時に巻き添えになり、犠牲となる例が絶えない。秋葉原の通り魔事件で亡くなった人達のなかに将来を嘱望されたり、夢を追いかけている大学生が謂れ無い悲劇に見舞われる、ある種の不条理をみる。

善き人がどうしてそれを全うし、社会の役に立つ有能な人材になろうとしている志が、無残にも狂気の前に潰えてしまうのか。因果律で考えたなら、有り得ない不条理である。それがこの世であり、社会であり、運命の皮肉なのであろうか。どうにも首肯しがたい。
明治維新の坂本龍馬を筆頭に、高潔な志を持った武士達は悉く討ち倒されて、露と消えた。吉田松陰然り、自らの信念を貫き、それが故に禁制に触れて刑死に至る。時に29歳であった。こんな潔い生き方はそうたやすく出来るものでない。

しかし吉田松陰は自らの心の欲するがままに我が身の生命も省みず、人民のために、国家の理想像の実現の為に彼は一心不乱に信念と思想に従い行動した。自我欲など微塵も持たず、公共の利益のために生命がけで望み、事の成果は別に全うした。
私はその彼の言う大和魂が何なのか知りたかったのか、その動機は定かではないが、20歳の時に友人と山陰山陽のドライブをした。その途次、吉田松陰神社を参拝し、その境内に車を停めて車中泊した。
一晩、松陰神社の霊気に包まれ、松陰の懐に抱かれて、私は夢の中で松陰と出会った。そう私の魂が呟いた。私はこうして後に分析家になる。
精神分析家 蘇廻成輪