《遠雷》徒然草-70

当然ながら、それまで精魂込めて組み上げて来たステレオのアンププレーヤー、チューナー他、スピーカー以外は壊れ、コンセントは丸焦げで黒くなった。
他に電話の太いヒューズがカバーを突き破り外に飛び出し、外にあるトイレの換気ファンは塩ビのパイプを溶かし、転げ落ち危うく火を出し、火事になるところだった。最悪の事態は免れたものの、被害は甚大だった。

私の住んでいる土地には、近くに雷電神社がある。故なくしてそこに鎮座していた訳ではないのだ。雷が落ちる頻度の高い地だったのだ。早速その年から雷電神社をお参りし、神棚にお札を祭るようになった。
人は人智を超えたどうにも防ぎようのない自然に対して成す術なくなった時、その自然現象の奥に神の意志を見て、畏敬の念を持つ。それが神への信仰の始まりだ。それまで神も仏もなかったが、この一件を通して私にとって自然と神が一つになった。
人間の論理と科学を超えた所に自然と現実界はあり、それは人間の不可能の場なのである。それは知っていても、自分の身に災害や天災が生じない平穏な日々を過ごしていると、いつしか平和呆けして、安穏とした心になってしまう。

正に、そこに雷鳴と共に雷が神の鉄槌として我が家に下されたのである。私は一撃で目が覚めた。自然に対して畏怖の念を持ち、謙虚に対峙しなければならないと、心改めた。
人は傲慢になるのは容易で、他者に対して優越感や自己愛の言動を何の配慮もなくしてしまう。いつも自然に対して敬虔な気持ちを持ち続けようと、常に意識のどこかに持っていたい。そう日々過ごしている。
いつも遠雷が鳴っていることを忘れてはいけない。
精神分析家 蘇廻成輪