《グルメ》徒然草-69

見た目は極普通の干柿で、さりげなく口にして、一口舌の上に乗せた瞬間、とてつもない、糖度計の針が振り切れて計測不可能と表示されたその甘みが、口一杯に広がり、そしてノドを通り、胃に入り、消化されていくにつれ、その甘味が体全体に広がり、幸福感が全身を覆った。そして至福の時が訪れた。
生まれて初めて知った甘さの極限だった。甘すぎるという拒否反応が全く生じない、純粋な甘味とは、これだと言わしめるほどの、嫌味のない、媚びることもない、唯々、素直に優しく甘いのである。

そしてその果肉の盪けるなめらかな舌触りと無限に広がっていく甘美な柿が口内を支配し、染み渡っていく陶酔に身を任せ、私は至福の時の中で時の経つのを忘れていた。
我を取り戻した時は、既に干柿は一かけらもなかった。至福の時は、須臾の間だった。
忘れられない食体験は、見知らぬヨーロッパの地やアメリカへ旅しても、心に残る食べ物に出会うことはなかった。
二十代に旅した、ヨーロッパの国々、イタリア、スイス、ドイツ、フランス、イギリス、ベルギーなどで、それ成りの食体験はしたものの、スペインもそうだったが、美味しい食事はなかった。

味わうほどの深い味わいは、日本食が世界一だろう。ダシやしょう油、、塩、山椒などの調味料を絶妙に組み合わせた調理は、日本食以外にその緻密な味を作り出したものを知らない。
日本人はおせち料理に代表されるように、生きるために食うのではなく、目で食べ、語呂合わせの文字と意味を食べ、そして家族の団欒を食卓に並べて共食する文化をつくり、それを食べているのである。
それを本当の美食家というのである。
精神分析家 蘇廻成輪