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ブログ  精神分析家の徒然草 

《秋風》徒然草-66

季節の変わり目は、視覚よりも、肌で感じる風が一番早く季節を運んでくる。新緑の優しい緑が紅葉の赤が鮮烈に秋を告げるが、それよりも早く、清清しい肌を冷ます風が秋を感じさせる。

春は東風でやってきて、夏は薫風が控えめに登場し、冬は木枯らしが峻烈に山を駆け降りてくる。そして秋は秋風が夏の苛烈な日射しに焼けた肌を癒やすように、そして体に沁み込むように吹き抜けていく。「あ!秋が来た」と体全体で小声を上げる。

「女心と秋の風」いや「男心と秋の風」というが、このアキは「厭き」の意であり、そこから男と女の心の移ろい易さの喩えとして「秋風が立つ」が生まれたのであろう。
どうしてそれが秋なのか。男と女の心が移ろうのは秋であるのはどうしてなのか、秋風に吹かれながら想う。



燃えるように熱く燃えた恋心が、秋になって気温と共にクールダウンしていく恋心なのだろうか。心は気温と平衡して、心身は一如なのかもしれない。夏に燃えて、秋に冷め、冬に終わる。
それが恋のプロセスであり、恋の季節なのだ。自然に季節があるように、心にも特に恋心には季節が存在する。青春時代、そう言えば「恋の季節」という歌があった。

恋に季節があるなら、哲学にも、悲しみも、喜びも、仕合せも、苦しみも、各々季節があって、それは必ず次の季節へと変わり、終わるものである。
そう想えれば、人生にも季節があり、春に産まれ、夏に育ち、秋に収穫し、冬に埋もれていく。人生は四季を巡り、真白な雪、静寂の時に沈黙を覆い、空の青と白い雪と白い大地が一つになる。



すべては静けさの中に沈み、自然の中に溶け込む。風も止み、心も魂も安らぎの休息の時に身を移す。風が季節を巡り、変えていくように、心もまた時の流れの中でその身を真白な静けさの中に移し、沈黙する。

でも今は秋風が吹いている。さあ、収穫の時だ。しっかりと実りの秋を堪能しよう。
「天高く馬肥ゆる秋」と言うではないか。

 

精神分析家 蘇廻成輪


 

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