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ブログ  精神分析家の徒然草 

《心の友》徒然草-65

パラリンピックが終わった。感覚器官に少なからず障がいを持った人達が、五体満足の人達と同じ様にスポーツを楽しむ? いや闘志を燃やしてレースをする。弓を射るにしても、走る、跳ぶ、球技にしても激しくぶつかり合いながら、彼らは競技という形式のなかで戦っている。

スポーツ本来の楽しむ、のんびりとした気楽な姿を見ることは出来ない。何に対して彼らはあんなに闘志をむき出しにしてぶつかり合えるのか。

オリンピックは世界人口77億人のうち、共に突出した極少数の数千か数万の人達でしかない。残り76億9千万人の一般市民とは縁遠い、祭典でも運動会でもない。唯の世界一の闘志むき出しの凄絶な人間のファナティックである。



なぜ、オリンピックとパラリンピックが必要なのだろう。99%の一般人の凡庸な運動力を楽しんでいる人達は、あんなに凄まじい競争をみても、楽しめないし、爽やかな気持ちにもなれない。唯々凄いしかない。

忘れさられた一般人のスポーツは学校や地区、趣味の範囲のレクリエーション程度で、競争心を煽ることなく、娯楽と健康の運動の域を出ない。そこにメダルも順位もない。平凡な市民の運動を楽しむ人々の祭典も大会も要らない。

健康であること、生きていることの喜びを体と汗で感じられる運動に、競争は要らない。



私は一切スポーツはしない。日々生きて体を動かしている日常が、私のフィールドであり、スポーツなのだ。スピードを競うことも、高さや力を誇示することもない。唯、日々健康で、それ成りの動ける筋肉と体力・スタミナがあればいい。それに充分事足りている、今の体は。

体はスポーツして、その力とスピード、技を競うためにあるのではなく、ささやかな一度切りの人生を幸せに、楽しくすごすために必要な、心の友なのである。

私から二十四時間、一瞬も離れることもない唯一無二の心の朋友なのである。

 

精神分析家 蘇廻成輪


 

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