《不夜城》徒然草-63

そう思えば、上空を飛ぶジェット機の音もなく、飛行機雲も見ることが無くなった。10分に一機見るほど、ラッシュ時にはジェット機が光を反射させて、その機体を輝かせながら飛行していた。
丁度空路の真下になっているのかもしれない。この北方に猪苗代湖があるからかもしれない。空からの轟音も消え、今は静寂を極めている。
部屋に一人原稿に向かっていると、突然ガタンとか、ギシィ、ミシィ、ドンなどと、音がする。家が温度の上昇や下降によって木材が伸び縮みして、そんな軋み音を出しているのかもしれない。

ハッとしてあたりを見渡すことがある。それはまるで人の気配を思わせる音の時もある。床や壁、天井などからきこえてくると、恰もそこに人が居るように感じてしまう。
まるでそれは座敷童が霊によるポルターガイストかと思わせるほどのリアリティー溢れる音で、ドキッとする。霊が活発に動いているのが見えるような錯覚を覚える。
音源に霊を想定してしまう心理が人間には在ると思える。何故霊を存在せしめてしまうのか。それは、人は対話を求め、独りで居ることの否認をし続ける防衛をせざるを得ないほど、人は淋しい存在なのである。
修行者が深山幽谷にこもり、人との交流を断ち、出家して人間的交流と会話と思考を放棄したなら、否が応でも人は、霊と会話し、目に見えない世界に接触してしまうのである。

俗世を離れ、野山を駆け巡り、自然の静寂の中にただ一人身を置くなら、そこに人は霊気を感じ、目に見えない、視覚で、そして五官で捉えることの出来ない、別な世界を感じることが出来るのかもしれない。人はその感覚を第六感といった。
文明の進歩は、その第六感を塞いでしまった。そして人間から静寂を奪い、二十四時間眠らない不夜城をつくってしまった。
光のない暗黒も、音のない黙も、現代人は喪失した。そしてその代わりに光の洪水と喧騒に襲われ、第六感は退化して五官しか信じない、唯のセンサーロボットと変わりない生き物になってしまった。
人の五官はすべてセンサーに置換されることは、自動運転の車が定用化された時、それは証明され、人は人でなくなる。
精神分析家 蘇廻成輪