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ブログ  精神分析家の徒然草 

《草刈》徒然草-62

夏の大仕事は草刈りと苔落としである。前者は草刈機で行い、後者は高圧洗浄機でする。草刈機はエンジン付きので行う。大した重さではないが、何せそれ成に広く、100坪以上になる。

夏の猛暑の下での作業は、過酷である。太陽の下で汗水流してする仕事ではなく、肉体労働と呼べるものからほど遠い所での仕事故、炎天下作業している建築作業員や道路工事の人達を見ると、唯々敬意を表すもので、いつも頭を垂れ、そこを過ぎ去る。

そんなことで、もう既に草刈りを自らがしなくなって久しい。今は外注し、刈ってもらっている。その方は、私より可成り歳上の八十の齢だと推察する。



そんな方に依頼するのも心苦しいが、「私は草刈りが好きなので、苦はないです」という言葉に救われ、いつもお願いしている。小遣い稼ぎを兼ねた趣味ということで、心安らかに依頼している。今年もお願いし、キレイな庭にして貰えた。

が、高圧洗浄は、外壁と玄関アプローチのレンガにこびりついた苔を剥がす作業は、自らの手で行っている。年に二度ほどしないと、苔は森の中の湿度の高さによってこびりついてしまう。これだけは通販で買ったKを使って行う。これはさほどの作業量でもないので、一時間ほどで、壁一周は終わる。

問題はレンガのアプローチである。未だ、中途で止まっている。一度作業意欲を失うともう手がつけられない。見ても意欲が湧かない。それに気合も入らない。



その時つくづく思う。人のヤル気は自らが湧き上がってくる意欲をつかまえるのではなく、無理矢理、義務と「ねばならぬ」で自分を急き立て、追い込むことで捻り出して、それを遮二無二掴み取ることでしか、行動化出来ないのである。

クライエントはよく口にする、面倒臭い、ヤル気が起きないと。全くその通りだ。事、好きでもない事をする事ぐらい、面倒臭く、億劫なことはない。したくないのにしなければならない事と、したいのに出来ない事で構成されているこの世では仕方のない事だが、余りに、この世は面倒臭い事が多い。

終いに、生きているのが面倒になる。それは至極納得のできることだ。が、しかし、人はそれでも生きねばならぬ。ここでも自分を支えているのは、「ねばならぬ」である。

 

精神分析家 蘇廻成輪


※毎週火曜日「徒然草」、水曜日「格言」を掲載していましたが、今週より水曜日に交互に掲載することとなりました。

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