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精神分析者の徒然草  ブログ 

徒然草-59《コメント》

オリンピックを観ていて、すべてのアスリートが、異口同音に「支えてくれた周囲の人達のおかげで金メダルがとれて、感謝で一杯です」と言う。いわゆる喜びのコメントで、金メダルをとった直後の、興奮冷めやらないホットな時の、喜びと涙でグチャグチャになったコメントである。

それを聞いて思う。あなたは他人の支えと応援がなかったら、その競技をしなかったのか。自分がやりたいから、好きでその競技に取り組んできたのではないのですか、と問いかけてみたくなる。

私は私の自己同一性のために、自己の存在を創造する手段としてこの競技に打ち込んできた、と内村君のように、自己探求ではないのか、それをするのは、と言いたくなる。



自分を励まし、支えてくれ、相談にのってくれ、辞めようとする弱気をセラピーした周囲の人や家族に感謝の念が湧き上がってくるのは当然であろう。何と美しい心なのだと、打たれる。

他者の念に報いようとする心は、人間だけの心である。それを報恩というが、日本文化の中心にあるのが、それだ。日本人の精神の根幹に恩の概念がある。それは、お陰様という、目には見えないが、多くの人や物によって人は支えられて生きているという全体概念である。そこに個はない。

農耕民族は助け合って、共同体として共働し、協働しないと生きていけないのである。定住民族が必然的に至る精神なのである。都市文化や西欧化しようと、日本人の精神伝統で培われた恩とお陰様は無くならない。

それが金メダリストのコメントにも表れている。Life styleが文明でどう変わろうとも、日本人の心は相変わらず他者のために生きていく文化なのだと痛感した。



私が自分のために生きてはいけないと思わせる文化が、この国にはある。八紘一宇も先祖のおかげでお盆の日を迎える。その心根は判る。それを理解した上で、私は私のためだけに生きたい。しかし、それは社会と人間である多くの人々が、それを許容しない。

私は一度もクライエントの要望に応えてセラピーをしたことがない。私がクライエントに見ているのは、人間とはどうあるべきなのか、人間が生まれて来た意味に気付けるように導くセラピーをしている。

それが結果的に幸福感だったり、健康だったり、アイデンティティーの獲得だったり、物事の成就だったり、夢の実現だったりしているだけで、私はそこを目指してセラピーをした事が一度もない。

私がしたいセラピーは、真理への導き手になることだ。

 

精神分析家 蘇廻成輪


 

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