《試金石》徒然草-57

私にも勿論その種の数字は多々在る。先ずなにより、大学受験に失敗した受験番号「615」である。今でも憶えている。独り大学の合格発表の掲示板を見にいった時の、あの衝撃を鮮明に憶えている。613、614と来て、次に617だった。
あの空白の数字は、ブラックホールならぬホワイトホールだった。永遠に浮かび上ってくることなく、そこは真白だった。いつまで眺めていてもそこから「615」の数字は出てこなかった。私は惘然たる思いで踵を返してアパートに帰ったが、その道すがらの記憶がない。

そして、その時の青春が、人生が終わった。時が止まった。私はその後余生を生きる事になり、二十四歳で、それは才能の無さに気付くに至り、決定的になった。以後私はその数字を私の永久欠番として葬った。
ところが、それから四十有余年経った2020年6月15日で復活した。葬り去った筈のあの永久欠番が6月15日となって、再度墓から蘇って出て来たのだ。それは、HP公開の日であり、実は空海の誕生日と知って二つの命と共に私の許に戻って来たのだ。当時は、615が空海の誕生日を顕わす数字だとは知る由もなかった。
私はあの時死んだが、同時に、復活の日に向けた分析者としての私の誕生日でもあったのだ。それを知った時、私は衝撃に魂が震えた。
死は常にその次の生を伴っている。そして生は死を伴い、命はこの永遠の繰り返しを振り子のように営み続けるのだ。

K大に入って哲学は出来なかったが、生の人生を社会の中で学んだ。最大の師は、私と出会った人達であり、社会が創り出したシステムと法が構造化した現実世界こそ、我が大学だったのだ。
私は再度、分析者として生きて来たこれまでの人生の区切りを、あるクライエントとの出会いによって知らされた。分析に失敗すれば終わり、成功すれば、新たな分析者としての出発を記することができる、いま試金石の前に立つ。
精神分析家 蘇廻成輪