《命の叫び》徒然草-56

蝉といえば、私は講座名『蝉成阿縷』を開催した事がある。訳あって数十回で閉じてしまったが、ラカンの「セミネール」になぞってゼミナールとセミナーを合成して「セミナール」とし、それに漢字を当てた。意気込みと志は良かったのだが、意欲だけが空回りして、時期尚早だったのか、受講生の思考と噛み合わず、一人、また一人と去っていき、遂に僅かな人数になり、止むなく閉講した。辛い思いがある、蝉には。

エピソードはまだある。今から17年前に私はパンデミックを屡々口にして、自らを鼓舞していたことがある。そして今年又、その言葉を口にしたい。それは「十七年蝉」である。十六年間土の中でじっと地上に飛び立つ日を待ち続ける下積みの象徴として、私は自らを「十七年蝉」と呼んでいた。
今年米国で、その十七年蝉が成虫になって一斉に地上に舞い、その数数兆匹となり、騒音問題が起きるほど、公害になっている。その夥しい数故に、私はその状況をパンデミックと呼んだのだ。私が下積みから世に出る姿をこの十七年蝉に託した。
しかし、パンデミックは起きなかった。代りに新型コロナウイルスが爆発的感染をもたらした。

私は今年、二度目のパンデミックを口にする時が来た。きっと「精神科学」、即ちフロイトとラカンがこの世に飛び立ち人類に希望の光をもたらす、精神の目覚めのパンデミックを起こすと確信する。
世間の無理解と無関心にじっと耐えながら、ひたすら黙々と臨床を続け三十年になろうとしている。一生私は陽の目をみることなく、地中深く、埋れ続けたとしても、この真理は永遠不滅である。あの長嶋茂雄氏が引退時に「我が巨人軍は、永久に不滅です!」と宣言したように、今私も同じように、「我が精神分析は、永久に不滅です」と声高らかに、蝉のように鳴き続けたい。
たとえそれが僅か一週間の生の叫びであるとしても。
精神分析家 蘇廻成輪