《唄う》徒然草-55

臨界点が1.5℃を超えたらもう気候は元に戻らなくなるらしい。僅かこれだけの温度上昇で地球は壊れてしまうのだ。何ともデリケートで、脆い、繊細な生き物、それが地球なのだ。
深夜放送で青春時代を送った私の世代より少し若い千春君の拙いしゃべりの放送を聴いていると、彼も歳をとった、大人になったなと、偉そうな物言いになってしまう。恋の唄しか歌わなかった彼が、地球について語ったことが、私には衝撃的だった。

深夜放送の花形は、落合恵子氏である。彼女は今もラジオ番組のレギュラーを持って「絵本」について語っている。相変わらずの、ゆったりとのんびりした明快な口調で、ラジオから長閑に流れてくる。こちらは時が止まっている。
一方では、破滅に向かっていく時の流れを感じ、一方では時が止まり、永遠の青春を生きている。どちらも時の法則なのだ。私はそのどちらにも与していない。私は私の時間を生きている。
人は皆、自分の時間を生きている。千春君も深夜放送から現代にまで生き続け、明日を見ている。しかし、彼の唄は今も尚、青春の純愛を歌っている。それは歳を重ねても変わることはない。恋に時代も世代もない。人類が存続する限り、唯一変わらない人間の心、いや時空を超えた魂といえるものだ。

心は時代によって、歴史と文明の進歩によって文化と価値の変容をもたらし、人の心はそれに同一化して変容していく。それは良くも悪くも人間の幸福感に作用する。時代によって幸福の定義は変わる。しかし、恋の歌は、万葉の時代も今も変わらない。ある意味、全く進歩しない人間の唯一の心かもしれない。人間に進歩も進化も要らないのだ。
唯生きていればいいのかもしれない、人に恋して。何も成すこともない。何も考えることもない。何も煩うことも、悩むことも、心配することも、不安にも、絶望にも至ることなく、ただ千春君のように歌っていればいい。
♪生きたい、人を愛したい、生命ある限り♪と。
精神分析家 蘇廻成輪