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精神分析者の徒然草  ブログ 

徒然草-53《邂逅》

スポーツの大会における記者会見が物議を醸している。テニスや鉄棒のアスリートの一言である。前者は女性で、後者は男である。それに意味はないが、唯彼女はしたくないと自己主張した個を見せただけである。しかし、社会はアスリートの個など問題にしていないし、スキャンダル以外興味を示さない。

アスリートとしてのスーパースターの言葉をききたいだけなのだ。全くの個の抹殺である。彼女はそれを拒否したのだ。私も一人の人間であり、女性なのだと訴えた。社会はルールで彼女を裁いた。人間の声の叫びを無視した。



一方私が注目したのは男性の記者会見だった。彼はオリンピック代表を決めた喜びの言葉をメディアは期待して、彼をその場に臨ませた。その第一声は「ダメです」だった。会場もTVの前の人も唖然としたことだろう。私は納得し、彼のストイックなまでの自己探求と鉄棒の演技を極めようとする「極道精神」をみた。

彼はオリンピック選手に選ばれ、それに出場することが彼の目標ではなく、鉄棒を極めることなんだということが「ダメです」の一言に込められているのを、感じない訳にはいかなかった。そして、彼の鉄棒への愛と、すべてのことを差し置いてこよなく演技の美しさと超絶した技とスピードの完成形を目指す求道心が、その一言で伝わってきた。

唯ひたすら自己が目指す究極のパフォーマンスに向かって練習し、それを完成しようとする鉄棒職人の姿こそ彼が私と同類であると思わせる。それは世界一でも、名誉でもなく、ただ一人の自己・自分であるための行為なのである。目的は誰にも似ていない自己自身の完成なのである。ユングはそれを自己実現といった。



しかし、そこに行き着いた時、人は何を見るのであろう。ただ一人の人間になった時、この風景を眺める人は、私しかなく、誰も居ないその境地は孤独以外の何ものでもないが、一体そこにあるもの、その風景はどんな形をし、どんな風が吹いているのだろう。

語り合う人もない、共感する人も居ない、そこには静寂と沈黙だけがある。光も音もなく、時の流れを感じる風もなく、母の胎内へと誘う馥郁たる甘い香りもなく、知覚で把えられるものは何一つないそこに立つ。

鉄棒と分析という登っていく道は違えど、その場所はきっと同じであろう。その地で彼と邂逅したい。

 

精神分析家 蘇廻成輪


 

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