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ブログ  精神分析家の徒然草 

《幸運》徒然草-51

分析の初回は治療目標と診断に始まり、必ず養育史をきく。どんな状況下で幼児期をすごしたのかを尋ねる。それは、自我は他者の下でつくられるからである。

他者とは、クライエントを取り巻く他我達である。それらの人々の自我が人間の自我を形成するのである。多くは養育者である両親、祖父母達である。それに養父母とか、親戚、施設となる。いずれにしても、養育者の人となりをきき、そこで形成された自我が、現在のクライエントの悩みや神経症を生み出したのである。

よくあるケースは、母は産んだだけで、世話行動をしない、所謂ネグレクト、養育放棄・怠慢である。全く、母の情愛に触れることなく、一様に「甘える」ということを知らない。そして欲求を言葉にして言うこともない。剰え遊んでもらった経験も記憶もない。



一番甚だしいのは、父と会話したことがないである。これが何をもたらすか。それはコミュニケーションの障害をつくり、対人関係の失調による親密な関係の形成不全による孤立を生む。何故か。人と対話することができず、他人に相談し、悩みを解決し、新たな人生を切り拓く前進する力を根こそぎ奪ってしまう。この活力の無さが不信と無力感をつくり、孤立させ、引きこもりを生む。

幸い、私はおしゃべりなほどの父故に、色々話をし、きいた。この会話の量が、母との会話の記憶よりも圧倒的に多く、多くの父の格言を憶えることになった。そんな私でも友人は一人もなく、社会との接点は全くない。だが孤立ではなく、孤独なだけだ。

唯、人間嫌いでそうなったのではなく、自分のことをする時間が少なすぎて、他の人と交流する時間の欠如がそれを生んだだけである。



趣味を通して多くの人と語り合い、交流したいと、『昭和のクルマといつまでも』の番組をみてて、いつもそう思う。私も31年乗り続けている車があるが、そんな同じ車の人と語り合えたらどんなに楽しいだろうとは想像するが、今となっては夢のまた夢である。

それはとまれ、クライエントの自我を形成した家とは、シェアハウスである。個人の寄り集り所帯で、下宿か寮に近い。その許で形成される自我は人間のそれではなく、その先の言葉はとても口にすることも書くこともできない。

唯言えることは、人間に成るとは何かを考えることが出来る限り、人は必ず人間に成れると言った、ラカン理論に辿り着ける幸運な人であるとは、言える。私も孤独な生物になったが故に、ラカン理論に出会い、人間になれたのだから。

 

精神分析家 蘇廻成輪


 

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