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ブログ  精神分析家の徒然草 

《国境は無い》徒然草-50

全米オープンで松山と笹生の男女共に優勝した。日本人は東洋の一角を占めている辺鄙な島国の小柄でひ弱な人間くらいにしか、世界の眼は見ていない。その証拠にあらゆるスポーツの中でも欧米が産み出したゴルフとF1においては全く相手にもされず、歯牙にもかけられない。一民族でしかなかった。

それが世界を震撼させた一大エポック・メイキングを演出した日本人が現れた。それはインディー500で優勝した佐藤琢磨である。時速300㎞/h以上のスピードで800㎞を走り切る最も過酷な自動車レースに彼は純粋な日本人として世界を制覇したのである。それはflukeではなく、彼は二度目の優勝を成し遂げたのである。



F1もゴルフもヨーロッパの分化が生み出した実にヨーロッパ的DNAのスポーツなのである。その気質は戦と知性から生み出された強靭な精神と肉体に裏付けられたもので、それがつくり出したスポーツ文化は、東洋のDNAと全く異にする。

その東洋人が、ヨーロッパ文化に勝利したのである。文化は競争ではなく、勝ち敗けは全く関係のない異質なものであるが、事、自動車レースとゴルフ、それにサッカーだけは無理なのである、東洋人の肉体は。
しかし、今や世界は一つで、国境も民族もDNAもその境界も差異もないことが、彼らの優勝が、それを証明した。最早、スポーツにも文化にも国境はない。

クラッシックの演奏においても、この音楽のDNA、いわゆる素質が良く言われるが、例えば、ドイツ音楽はドイツ人とか、チャイコフスキーなどのロシア音楽はムラヴィンスキーとか、シベリウスの音楽は北欧人とか言われるが、特にショパンコンクールなど、日本人が表現出来る筈ないなど言われることも今は無くなった。こうして西洋と東洋の区切りも偏見もなくなった。



人間どこまでいっても人間で、国やDNA(偏)や民族・文化で異なるものではなく、人間は一つなのだと彼らの快挙は伝えている。

国境を無くしたのは、経済連合であったが、実は最初に国境を取りはずしたのは、文化・芸術であり、その後スポーツであった。しかしそれよりも世界は一つ、国境はないと叫んだモノが居る。それはウイルスである。新型コロナウイルスの世界への蔓延は正にその証明である。

そしてもう一つ、精神の科学において、ラカン理論は「漢字」において、その真価を発揮する。科学に国境はない。あるのは、人間の無理解と無関心という国境である。

 

精神分析家 蘇廻成輪


 

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