《上書き》徒然草-43

ある日、ふと立ち寄った道の駅の、地元野菜販売所を覗いていたら、販売の女性の「朝一番、皆様が鼾をかいて寝ていた頃に採ったアスパラだよ!」と連呼していた。
余りにその呼び声が自信ありげで、本当に美味しいのかと思い、つい二束買ってしまった。
実は、本当に美味しいアスパラを食べた事がなかったので、一度食べてみたいと常に思っていたので、ついその売り言葉に乗ってしまったのである。

美味しいアスパラとは、水水しくて、シャキットした歯応えのある、瑞瑞しい茎から染み出てくる甘いアスパラの髄液が味わいとして口一杯に広がる、爽やかな満足感である。
その至福の時をもたらしてくれるアスパラを美味しいというのである。私はその売り子の言葉に賭けた。結果は、本当に想像していたアスパラそのものだった。
コマーシャルの真髄は、連呼である。選挙もしかり。
人の脳に文字を刻む、最も有効な方法は、繰り返し同じ言葉をきかせることである。
すると人は、記憶の文字群に、リフレインしてくる言葉を文字にして、上書きしてしまうのである。
それが正しいかどうか、価値があるのかどうか意味があるかどうかの一切の吟味をもなしに、自動的に上書きして、覚えてしまうのである。

だから、「読書百遍、義自ずから見あらわる」という。私はこれを親から「読書百遍、意自ずから通ず」ときかされ、覚えた。
私はそれをこう解釈した。馬鹿でも百回読めば、意味は主ずと判るものだと。
私はその通り、読んで判らない本を、理解しようとせめて唯々読んだ。その本が『精神病の構造』藤田博史著である。
どうして百回読めたかは、それは文章がとても美しいメロディーのように、読んできこえたからである。
精神分析家 蘇廻成輪