《好き》徒然草-42

止まるなり、ドアを撥ね上げて、その翼の下から男性が降りて来た。
ニコッとしながら「こんにちは」と言う。私も10年の知己に逢ったように、「こんにちは」と返す。そのドライバーの車は、ランボルギーニ・アヴェンタドールだった。

彼はこれからむさしの村でミーティングがあり、やって来たと言う。
給油もせず、立ち話が始まった。話題は勿論、ランボルギーニとフェラーリについてである。彼は他に、F360モデナのカブリオレ(オープン)を所有しているという。
ドアが開いたままで、車内の様子が伺える。
マニュアルのシフトレバーは天空に向かって真っ直ぐに聳り立ち、光っていた。
彼が何を語りたいか、何を自慢したいか、手に取るように解る。
12気筒、マニュアルはもう稀少車中の稀少で、既に12気筒エンジンは人類工業遺産になってしまった。
私も一度はそれに乗りたかったが、今となっては夢のまた夢になってしまった。
全財産叩けば、乗れなくもないが、今はもうその機会を失ってしまった。

物事にはすべて時機がある。
人生には何度か大きな運命の波がやって来る。
それにうまく乗り切れるかどうかが、人の命運を分ける。
私にも41歳の時に、その大きな波が、押し寄せて来た。
私の未来はその時無かった。
会社の窓際に追いやられて、退職に追い込まれ、やむなく辞めて、次の新しい世界への第一歩を踏み出した。それが精神分析だった。
1992年9月の事である。当時、素人分析家など独りも無く、相談できる人も勿論なく、手探り状態の暗中模索の五里霧中の毎日だった。
それが、今日まで曲りなりにも分析家としてやってこれたのは、果たして何なのか。
私には全く判らない。それは自力を感じた事がないから。
即ち、私は一度も努力した事がなく、唯々日々分析の臨床を積み重ねてきただけだから。
一つだけ思い当たるのは、分析が好きということである。
精神分析家 蘇廻成輪