《詩》徒然草-38


少し下品な表現だが、ハイブリッドもEVも「クソ食らえ」とエンジン愛好家達は口を揃えて言っているだろう。ポルシェもフェラーリもランボルギーニもアストンマーチンも世界工業遺産として博物館行きになるだろう。後十数年でその現実もやって来る。その時私の体も終る頃だ。
この頃ふと想う。「この自分の体にいつまで乗っていられるのだろう」と。体は一つの魂の乗り物に想えてならない。いつまで運転していられるのだろう。私というドライバーは、愛車ならぬ、愛すべき体を失った後、どこに行き、何に乗るんだろうと、ふと考え巡らしている。
肉体はおろか、人類も地球も、宇宙すら消え、何が残るのかと考えれば、そもそも存在(三次元的)とは何か? の問いが出る。その答えは出来ない。論理も科学も全く人間の知が及ばない世界の出来事だから。
それ故私はこう考えた。今度は、私は私の魂を乗り物にして、次の旅に出ればいいのだと。それには、魂をポルシェやフェラーリの様に、常に前へ前へと技術の進歩と向上をし続け、進化を止めないこと。それが魂をガソリンエンジン車の技術を進化させ、現在の芸術品ともいうべき人類遺産を創り出させたのだ。

私は私の魂のモデル開発に知を傾けることにした。
その先ず第一歩として、時間軸の過去と未来を捨て、「今」だけにする。そして宇宙の声を聴く。光の先にある、何かを見つめる。そして想う。人間とは何か、を。又しても二十歳の時のあの決意の地点に戻った。そして分析を通して、物質的存在として決して視覚化することの出来ない、人間にしかできない心の営み、それは言葉で想いを創出する表現である、それは「詩」が書けることである。
AIに詩を書くことは出来ない。この心が創出する想いの源は、「愛」である。人間だけが持っている、愛こそが魂なのだ。
精神分析家 蘇廻成輪