《永遠の恋人》徒然草-36


田舎から華やかな憧れのTOKYOの地に立った、不安と訳の判らない武者振いと、訳の判らない高揚感に包まれたあの青春の血が騒ぐのを、今はっきりと感じている。中でも最も心が湧き立つのは、あの「恋」が出来るかもしれない出会いへの熱い恋愛感情を、したこともないのに感じている、あの奇妙な感情の蠢きに把われている。老いるとは、正に青春に還ることを実感している。
恋する心を忘れていたのではない。もしかしたら一度も恋などしたことがないのかもしれない。この心のときめきを何と形容すればいいのか、全く言葉が見つからない。分析を始めて、言語化できない事象と無意識に出会ったことがない。悉く言語にして来たのに、今それが出来ない。唯今はその感情と想いに身を任せるしかない。
年を重ねて生きるうちに、社会のしきたりや、ルール、集団生活、常識や無知に馴致した心は、もはや青春のあの無碍な世界に戻ることはないと思ってた。が、人生シナリオは決定稿ではなく、あくまで予稿でしかないのだ。どこにも人生の決定稿など存在しない。
どこか人は、自分の人生は始めから約束され、決められていると、どうしても決定論に陥りがちだが、決まっているようで実は自らの手で自由に書き換えできるものなのである。一度書かれた人生シナリオは推敲し、書き改めて新しく歩み始めることができるのだ。決まっているようで、決まっていないのが人生なのだと、今しみじみ想う。
これから青春を生きると決めた。
その第一歩こそ恋を知るである。恋はするものではなく、恋する心とは何かを知ることなのだ、人を通して。それは単に異性だけではなく、事や物、仕事を通じて、何処にでもその機会はある。
私は分析に恋してしまったのだ。惚れ続けて、その蜜月は未だに終らない。四十年以上恋をし続けている、フロイト、ラカンに。これからも変わらない。いつも彼らは私の傍にいて、私と語り合ってくれる。恋は人を仕合せにし、優しく包んでくれる。
分析は私の永遠の恋人。
精神分析家 蘇廻成輪