《福は内》徒然草-33

一年で6時間延びている自転時間は四年で24時間になり、うるう年で2月29日として1日足して調整しているが、14年に1回の調整が今年になるらしい。このまま自転が遅くなれば、何千万年か後は、一日が24時間ではなく、一体何時間になるのだろうか。そんな先の地球の運命を考えても、我が身の明日が判らないのに、詮無き事である。

果して人の一生は、長いのだろうか、短いのだろうか。宇宙の時間を基準にすれば、それは須臾の間でしかないが、人の一日24時間をみれば、その80年の寿命は長くも感じる。
しかし、生きてその時を迎えると、あっという間である。100歳で、J.S.BACHの無伴奏チェロ曲をCDにした女性チェリストが、そう言っていた。振り返って人生100年、あっという間でしたと。
自分でもそう思う。二九年前にtherapyを始めて振り返り、今を想うと、これまでが一瞬だった。それは、結局あるのは、今だけだから。何百、何千、何万年生きても、結局あっという間の人生になると感じた。
だから、長く生きることが人間の人生ではなく、今をしっかり生きることが、人間の一生の時間の過ごし方なのである。
要は、楽しく生きているか、つまらなく、悩み苦しみながら生きているか、だけである。
節分の「鬼は外、福は内!」のかけ声は、そんな人の一生の過ごし方の神のメッセージなのかもしれない。心の鬼は、即ち、怒り憎しみ、恨みも、根にも持たず外に吐き出して、心の裡に福を招き入れて、豊かで穏やかな落ち着いた心で日々すごせよとの、神の諭しなのである。

そのための文字が浮かんだ。薬局で受け取る薬袋に「内服薬」とある。その文字をみて、思いついた。「内福楽」と。
服は着るもので、福は飲み込むもの。薬は

こうして、福を飲み込んで、体も心も楽になる。これが、日々の人間のすごし方なのだと思った。
この袋を作って、クライエント一人一人に渡した、「この袋に福を入れて下さい」と云って。
精神分析家 蘇廻成輪