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分析者の徒然草  ブログ 

《年の始め》徒然草-31

「正月はめでたくもあり、めでたくもなし、冥途の旅の一里塚」と言われるように、確かにそれは一つの真実だが、人が生きていく上では、それは単なる事実である。
事実は自明の理のことで、改めて考えることなく、日常の反復のなかで、それと知られずに流れていく意識である。

そして、それは無意識になってしまう。故意に人はそれを忘れようとしているのかもしれない。常に生死を意識する緊迫の中を生きている訳ではない一市井の人である限り、どんよりと生きているものである。
ところが、一度でも死の危険に遭遇した人なら、生きていることの平凡さを奇跡と感じるだろう。



私はそれを19歳、大学一年の時に経験した。
大学へは車で通学していた。友人も車で通っていた。互いの車自慢をし、見せびらかし、試乗もし合っていた。

ある日友人のSが日産ブルーバードSSSに乗ってきた。当時、最新のスポーツカーで2ドアクーペだった。とも角速かった。
加速もコーナーリングもスポーツそのもので、早速友人三人が乗り、四人走行になった。大学は郊外の森の中にあり、道は広く整備され、その道に導かれるように、普段私が通っている通学路とは反対の方向に向かった。

Sはアクセルを思い切り踏み、どうだと言わんばかりの加速をし、右に大きくカーブする道を、気持ち良く走行した。
カーブが終り、前方が開けた瞬間、目の前に木の橋が、それも車が一台やっとの幅しかない、相当長い真っ直ぐな木製の橋が見渡せ、その下は川だった。川面まで、2〜30mはあっただろう。

気がついた時は、渡って来たリヤカーを避けるために、左側の木の欄干に、車の右ヘッドライト部分が激突し、車が止まった。私は助手席に座っていた。
外に出ようとしたら、車が揺れた。左タイヤの下に地面はなく、虚空を揺れていた。右側に重心を移し、右ドアから慎重に外へ出た。
そして川面を見下ろした。その余りの深さに、ゾッと背筋が冷たくなった。



Sのハンドルさばきが1㎝でも左にズレていたら、私は間違いなく、川底に車が突き刺さり、大破し、この世になく、あの時点で人生に幕を下ろしていたことであろう。

とまれ、私は今尚生きている。いや、生かされていると言うべきかもしれない。又一年、生命を頂き、感謝し、決意を新たにする。
それが正月という年の始めの想いである。

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