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ブログ  精神分析家の徒然草 

《見えない糸》徒然草-30

「一年の計は元旦にあり」というように、人生の計は覚悟に在る。人はいつどんな時に覚悟するのであろう。
日常生活を平凡に、健康に送り、すごしている限り、生きるのに特別な覚悟は要らない。
人生の転機にさしかかり、進路を変えなければならなくなった時や、生死の瀬戸際に立った時などの、限界地点に立った時、人は覚悟を強いられる。

今年一年、何を目標に生きていくかを思考する時、去年の継続でいいのか、それとも更なる躍進を目指して新たな挑戦をするのか、その計を立てるのが元旦であるように、人生の岐路に立った時、自らが選択した道を信じて、この道を行くと決める。
それが覚悟である。


1992年9月、私はその覚悟をした。時に、41歳であった。既に29年前の事になる。
しかし、その時の事は、今でも鮮明に憶えている。譬え餓死しても、この道を行くと決めたあの日の事を。

初心忘るべからずと言うが、今もその時の覚悟は持ち続けて、今日を生き、明日を想う。
2021年元旦、私は覚悟を新たに、人生の船出をする。28年引きこもっていたが、漸く、会社を設立し、社会参入し社会人二年生になった。
何と遅れてきた新社会人であることか。

世に出る事の背中を押してくれたのは、小布施で観た、葛飾北斎記念館での彼の生涯をまとめたDVDのストーリーであった。
彼は画家を目指して江戸に出たが、絵が売れず、一時魚売りをするが、「俺はこんなことするために江戸に出て来たんじゃない、画家になるためだ。売れなければ餓死すればいい」という台詞が、私の勇気を後押しした。


それと改名癖から二十数回改号し、最後は「画狂老人」と名乗った彼に親近感を抱いた。それは、私も八回も名を変えたからだ。フロイトも仕事、家庭、ゲーム用と数個の名前があったらしい。
妙に私とつながり、人は、どこかで見えない糸でつながり、それに導かれて生きているのかもしれないと、勝手に北斎とフロイトと自分自身を見えない糸でつないでしまった。

この妄想に近い思い込みが、私を勇気づけた。その勇気を忘れてはいけないと、思い返す正月である。

精神分析家 蘇廻成輪

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