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分析者の徒然草  ブログ 

《歓喜の歌》徒然草-28

三密を避けることが日常になっても、元々人との交流の少ない、というかほとんどない私にとって、生活様式は全く変わっていない。セラピールームと自宅の往復の日々である。そんな生活を20数年続けている。何ら変わり映えのしない毎日だが、一日一日はセラピーを通して、真理に触れる感動の毎日である。

もうこれ以上知ることはないと思うが、その一時間後には、又新しいクライエントから、真理を教わる。大袈裟に言えば、一瞬一瞬、クライエントの一言一言に感動している。真理に触れ続ける時の流れの中で、私は「はじめに言葉ありき」を呟いている。



この世界の始まりの前に、そして物質の現象が始まる前に、「言語」があったのだ。そのことを理解したのは聖書である。私はクリスチャンでも信仰者でもない。唯のラカン信奉者である。いや、真理と共に生きている、唯の人間である。

世界の一角に場を与えられ、その中でやるべきことをしている唯の分析者である。崇高な真理を声高に叫ぶこともなく、分析普及のために運動するでもなく、唯、一人一人のクライエントと向き合い、その声に耳を傾け、真理の言葉を聴いているだけの日々を生きている。

それは、日々食事を摂り、空気を吸って生きているように、真理を吸い込み生きている。これは酸素のように、血管に溶け込み、体中をかけ巡っている。体は喜び、歓喜に震えている。

年末に、日本の文化と風物詩になったベートーヴェンの第九が演奏され、歓喜の歌に浸り、包まれるように、私は真理の言葉でそれと同様の感動に包まれる。言わば毎日が年末のような状況である。果して今年は、何回第九が鳴り響くことができるのか。



私のセラピールームは、コンサート会場の様なものである。クライエントの語る旋律を、不協和音のない和音(コード)に変曲して、演奏が上手くできるように毎日レッスンしている。次第に新しい和音と旋律に慣じんで、美しい音楽を響かせる。
私はそのためのアレンジャーであり、コンダクターである。

私の夢は、いつか独唱から、クライエント全員による『歓喜の歌』の合唱である。

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