《白い煙》徒然草-27

私はその隙間に乗せられて、母親にしがみついて、自転車は動き出した。年に何回かの里帰りだった。小学校に入学前後の頃であろう。
砂利道のゴロゴロした石の上を、ガタガタと自転車は不安定な足取りで、四キロ離れた実家を目指した。何度か通った道なので、少しばかり見慣れた風景があり、近づいてきた記しの建物が目に入った。それは火葬場だった。

子供心にそこがどんな所なのか判っていた様な気がする。煙突から立ち昇る白い煙りが、実家が近いことを告げていた。
漸く私は過酷な振動から解放される安心感を取り戻し、母親は私とは別な解放と安心の場に辿り着いた、しあわせそうな顔をしていたことだけは憶えている。心の中で呟いた「よかった」と。
それから先の事は何も憶えていない。実は大きな家の二階が蚕を飼っていた養蚕場であり、桑の葉を食べさせる手伝いをした。ムシャムシャと蚕が桑の葉を食べる合唱が響いていた。母は何をしていたのだろう。夕方になり、暗くなる前に暇して、又あの過酷な道を母にしがみつきながら帰った。

人は死ぬと燃やされる事をその時知った。死と火葬と母のしあわせな顔が一つになって、私の記憶の一幅の絵になっている。数十年経った現在は、火葬場も新しくなり、母、父、そして兄とそこで見送った。当時の面影は全くなく、母の実家も建て直され、全く別な家になっている。
時は記憶を無効にしてしまう。
次第にその絵は色褪せて、消え入りそうなまでに、仄かな輪郭だけを残しているだけになってしまった。そしていつかは白いキャンバスになるのだろう。
二度と描かれることのないキャンバスは、時に呑み込まれ、そして闇に包まれて、あの煙突の白い煙のように、宇宙に紛れ込んでいくのだ。
精神分析家 蘇廻成輪