Blog

分析者の徒然草  ブログ 

《父の夢》徒然草-26

テーブルの上一杯に、方眼紙が広げられている。
それは、家の間取図と立面図だった。おやじが得意そうに押し入れの奥から大事そうに取り出して来て、広げて見せたものだった。

これが家相通り、すべての吉方を使って設計したものと、言いながら、満面の微笑をたたえていた。棟の違う部屋を廊下でつなぐ平屋で、相当な敷地を要するが、幸い田舎で宅地は余裕があり、おやじの夢の理想の家は、お金さえあれば実現可能であった。



しかし、悲しいかな、その資金は全くなく、本当に夢のマイホームであった。それでもおやじは、直ぐにでも建つような口振りで、何の根拠も無い自信で、ほぼそれは間違いなく実現すると確信しているように見えた。

私には、唯の暢気な戯れ言にしか聞こえなかった。それは、小学校低学年の時の事だった。
その後その図面を見ることはなかった。

おやじは少し変わり者で、方位学に興味をもち、百姓しながら、若い時に、その方面の師匠に学びに通って、それを修得し、占い師紛いの事を、近所の人相手に、お金もとらず趣味でしていた。家相、引っ越し、新規事業や結婚の日取りなど、吉日をみてやっていた。

私もいつしか門前の小僧習わぬ経を読むで、暦の見方など、九星の意味など、憶えてしまった。そして、自分の人生の節目に、その暦をみて、するようになっていた。



さて、家のことだが、おやじの夢はひょんな事から叶うことになった。それは、近くに国道のバイパスが通ることが決まり、その中心地に我が家の一番広い土地が、引っかかったのである。
そのお陰で、おやじの常識はずれの理想の家が建つことになった。時にあの設計図を見せられた、12年後の、私が二十歳の時だった。

そこに私は二年間住んで、家を後にしたが、僅かでもおやじの夢の中に居た。

後に私は、晩年のおやじに渾名をつけた、「天下泰平」と。
何とも楽天家で、良く言えばプラス志向で、母親の心配症と対称的で、能天気だった。そのおやじを真似たお影で、私もプラス志向なのかもしれない。

とまれ、おやじの家の図面から、いつかは夢は叶うものと学んだ。多くの人がそれを体験しているが、私はそれを目の当りにしたのだ。
それから、私も夢を持つことにした。そして、そこから私は一つの真理を得た。

それは、「思考は物質化する」。この言葉を父の仏前に捧げたい。

SHAREシェアする

一覧

HOME> >《父の夢》徒然草-26