《通学路》徒然草-25

田園の中を走る砂利道を、自転車で通った中学校の通学路の途次、豚の悲鳴が時々聞こえる場があった。それは後に知ったのだが、豚の屠殺場だった。大好きだったカツ丼も、実はこの悲鳴があってのことの顛末として、人の口に入るのである。

人は、他の生物の生命を頂いて、生命を維持していることは、文字としては知っているが、それを本当に実感し、口にする毎に、生命を差し出した、それらの牛、豚、鳥、魚等の姿を想い出しながら、合掌しながら食べていただろうか。
私の家は祖父が養鶏を営んでいて、玉子と鳥肉に不自由することはなかった。鳥肉が食卓に上るまでの一部始終を、小学校時代から見て知っている。父が鳥一羽を養鶏場から持ってきて、まな板の上に乗せ、鉈で首を落とす。そして、それを木の三脚に吊し、血抜きをする。
ポタポタと赤い血がしたたり落ちる。それが終わると、茹で、そして毛をむしり取り、内臓を抜いて、食卓に上る。一連のその流れを、私は自然の一景色の様に、何の感慨もなく、自然の営みの、一現象としてみていた。活魚を捌いて、刺し身にするのを眺め、それを口にするのと大差なかったのであろう。生命を頂いているという捉え方はしていなかった。

野菜も米も畑と田んぼから穫れたのを食し、生命を食べているとは、到底思えなかった。考えてみれば、野菜も土に根をはり、茎を伸ばし成長して葉を広げ、実をつけたところを、抜かれて、食べられてしまう。
生命という意味では、動物も植物も同じだが、動くか動かないかで、生命感に差が生じる。どうしても動く動物の方が、生命として価値があるように思い込んでしまうが、生命は一つなのだ。
私は、食材は田畑から無尽蔵に収穫でき、一生涯、米と野菜に不自由せず、金で買って食べるなんて事は、夢にも思っていなかった。今にして思えば、そんな神話めいた思い込みは笑い話だが、当時は真底そう思っていた。
後に、スーパーに行き、野菜と米を買った時の事は、今でもその衝激を、そのカルチャーショックを忘れない。
正直今でもスーパーのレジに行くと、何らかの異和感を持つ。それは、土から取っていた野菜が、煌煌たるライトの下の棚に乗せられた野菜を手にした時に、生じる。
種蒔きし、土をかぶせ、水や肥料をあげ、草をとり、土を耕し育てた末に収穫されたそれとは、スーパーの棚の上の野菜は全く違ってみえるのは仕方ない。
それが生命に見えない。そんな食材で支えられている今の生活は、私にとって空中楼閣で生活しているようなものだ。
現代人の都会のタワーマンション生活と同じである。
精神分析家 蘇廻成輪