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分析者の徒然草  ブログ 

《神の使い》徒然草-24

 

兄の高校入学のお祝いに、我が家に大きな荷物が届いた。
それは見たことのない、大きな左右140㎝で高さ70㎝ほどの家具のような箱型のステレオだった。左右から違う音が出て、音が空間的に広がり、そこにステージがあるかのように立体的に聴こえた。

特に驚いたのは、レコードが数枚重ねて置き、演奏が終わると、トーンアームが自動で戻り、レコードが上から落ちて再度、アームがレコード盤に落ちて再生を始める。これが有名なガラード社のオートチェンジャープレーヤーであった。連続再生ができる、ジュークボックスのように、音楽が次々溢れ出てくる。


兄は、それを祝いにねだったのである。私はそれまで、ステレオの存在を知らなかった。兄はどこからその情報を得たのか、私はこの兄のお影で、オーディオの世界に足を踏み入れることになったのだ。その時は、後年、オーディオ狂いになるとは知る由もなかった。

それ以降、兄はステレオに凝り、次々と新しいオーディオ器機を買い揃えていった。そしてその度に音がリアルになり、生の音に近づいていく、魔法のような体験をした。私はそれを聴くだけだった。次はどんな音になるのかワクワクしながら待っていた事を憶えている。

そんな兄も既に他界し、後年兄はオーディオから株に転身してしまい、オーディオの趣味は、私が引き継ぐことになった。唯私は音を良くしたい器機のオーディオ狂ではなく、クラシック音楽をいい音で聴きたい、音楽狂だった。

名曲を、特にバッハのマタイ受難曲とロ短調ミサを荘厳に響かせるステレオにしたかった。それが平成元年から始まり、今日まで続いている。一度この世界に足を踏み入れたが最期、もう脱け出す事は出来ない。一生そこから足を洗うことは出来ない。音にはそんな魔力がある。

オーディオの魔力はそれだけではなく、一つ一つの器機が軽自動車並の値段がする。必要な器機は、プリアンプ、CDプレーヤーにパワーアンプと最少これだけ必要だ。
システムは使いこなしが決まり、音はその人の人格を表わす。音づくりに、その人の品格と哲学と情熱と美学が表われる。

いわばオーディオは人生そのものである。マニアは自分の音づくりに、生命がけで立ち向う。その姿は求道者のようで、鬼気迫るものがある。兄なくして私は人生の愉悦を知らずに送ることになったかもしれない。人真似は絶対したくなかった私が、唯一まねたのは、兄のオーディオ趣味だった。

奇跡のように我が家に届いたあのステレオは、私に生きる醍醐味をもたらした、神の使いだったのかもしれない。

 

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