《人間の証明》徒然草-23

朝刊の、三島由紀夫の幻の写真集が米国で出版されるという記事が、目に飛び込んで来た。
11月25日が近づくと、三島氏の事を憶い出さない事はない。その写真集の1枚が紹介されていた。
それはデスマスクだった。天を向いた頭部を下から撮ったものだ。
私はあの事件の特集をしたサンデー毎日の号を持っている。それは友人から、「君は三島ファンだから、僕が持っているより、相応しいだろう」と言って譲り受けたものだ。市ヶ谷の総監室の床に転がった生首写真がのっている。

二度とその覚悟の自決の三島氏の魂をみることは、今までないが、自決してまで訴えた氏の魂の叫びを語ることは、私には出来ない。唯その激烈な行動を辿ることしか出来ない。
私は市ヶ谷のその場所に取材を申し入れて、死後9年の後に、私はその総監室の戸の前に立った。その時は入室禁止で閉鎖されていた。氏と同じ場に立つことは叶わなかったが、氏の魂の閃光の一筋には、触れた様な気がした。
その後私は、介錯に使われた刀の所有者であり、三島氏に寄贈されたT堂の社長に会った。何かのお礼に差し上げたものと言っていた。何刀かある中から、氏は刃のこぼれがあった、白虎隊が使った刀を選んだという。三島さんらしいと社長さんは言ってた。
三島氏は、白虎隊の少年の魂を握った。その時の氏の情動はエクスタシーのさ中に居たであろうことは、難くない。この時から、市ヶ谷に一直線に向かっていたのであろう。

魂が次の魂へと受け継がれていく様を、そこに見た。私はとても氏の魂の後継者にはなれないが、先人の想いを引き継いで、次の世代に渡せる橋渡しが出来たら、どんなに幸せだろうと思う。独り善がりの想いだが、ラカンは、自分のことを「フロイディアン」と言ったが、私は自らを勝手に「ラカニアン(ラカン信奉者)」と言いたい。誰れもそれを認めまいと、私は独り「ラカニアン」と言って憚らない。それは私の自負であり矜持である。
人として生まれ、一つでもいい、誰れ憚ることなく、臆面もなく、そう言えることが、私は嬉しい。唯々、心から嬉しさこみ上げてくる。フロイト、ラカンの魂は三島氏のそれと比較したり、分析して語るものではないが、人間が、この世で生を営み、それぞれの道で極めた境知は、人間の証明そのものである。
私も自らの「生」の、人としての人生を確かに生きた証しを、この地球に、三島氏の言葉を借りるなら、爪跡を残したい。
精神分析家 蘇廻成輪