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分析者の徒然草  ブログ 

《世間体》徒然草-21

車のウィンカーランプが切れて、修理に販売店に持ち込んだ。
そこは那須から20㎞弱の所に在るO市の田園の中にひっそりと真面目に誠実に仕事をしている会社だった。その社長との会話がやけに弾んでしまった。



それは、「この辺は、目立つことができない、世間体のうるさい所なのです」と言う。
それを聞いて私の育った村も昭和30年代の頃はそうだった事を憶い出した。私の中で既に死語にはなったが、一度は登録された「世間体」の言葉が、今正に、在り在りと生きた言語として眼の前の社長の口から出ていることが、驚きで、何か新鮮だった。

常に親が口にしていた言葉がそれだった。
贅沢と派手に目立つことを戒められ、とも角「世間並みに、後指さされないように」が口癖だった。その余りに不快な因習に耐えられず、一日も早く家を出たかった。

高校入学の時にそのチャンスが訪れた。地元の高校へは行かず、「そうだ! 東京の高校へ行こう」と思いついた。そして池袋に在ったS高校に入った。親の世間体のために、勿論地元の県下有数の進学校であるK高を受け、何とか合格し、それをけって、敢えてS高に行くという形にした。
親はそれを納得し、晴れて毎日東京へ通えることになった。

片道1時間30分以上をかけ、弁当もって、地元の駅まで4㎞は自転車で3年通った。
通学時間は全く苦にならなかった。あの赤羽から池袋までの僅か10数分の殺人的混雑の電車も耐え、駅から1分の学校に、いつも駆け足で飛び込んでいた。

実は、その通学の背景には、東京への幼い頃からの憧れがあった。夏休みの唯一の楽しみ、池袋に在るデパートに行くことだった。唯あの都会の空気を吸うことだけが、何故か子供心を喜ばせた。それは全く田舎と異次元だったから、田舎の世間体からの解放があったのかもしれない。



社長は大の車好き。自動車販売しているから当り前と思ったら、そうではなく、「私は新し物好きで、新車を毎年乗り換えるが、半ば趣味」と言った。世間体の喧騒の田舎で許されるのは、新車を乗りつぐことだけで、一年365日休みなく働いた、と言う。それが最近ゴルフにはまったらしい。毎週コースに出て、バネ指になるほど練習してる。凝り性の社長が、対象をゴルフに変えただけのことだった。

とまれ、生きている世界・環境を変えることは、人間に必須なことなのだ。
決して一様では生きていけないのが、人の一生なのだ。

 

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