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分析者の徒然草  ブログ 

《天日干し》徒然草-18

 

那須の詩涌碑庵に来ると、よく空を見上げる。
空は青く、雲が流れていく。巨大なグレーのUFOの様な雲や、ホットケーキの様な丸いベージュ色の雲や、その後にカニや、亀や、竜などを従えて、流れていく。
眼に入るのは、空と雲と木々の緑だけ。そこに、稲刈りの後の切り株から発する藁の匂いが、優しい風に運ばれて鼻孔をくすぐる。
ああー、秋だと思う。ここには人工の物は何一つない。



人は年をとると言うが、事実は齢を重ねて、木の様に知の年輪を重ねているのである。自然は変化しているのであるが、その単位が1000年、1万年、1億であるために、100年しか生きられない人間にとってそれは不変だ。

農家に育った私は、稲刈りの季節には、広い庭に何枚も広げられた藁のふとんの天日干しの籾を憶い出す。
農業はまだ全く機械化されず、すべての作業は人力に依った。一株一株鎌で切り、籾を天日に干し、唐箕で選別し、俵を作り、それに詰めて出荷した。
すべて人力で、行なわれた。作業は単純で、唯同じことの繰り返しで、頭を使うことは必要なかった。体力だけが必要だった。

この時私は考えないで、工夫を学んだ。いかに楽して効率良く体を動かし、短時間で終わらせるか。それだけを考えて作業した。
結論は、どんなに効率良くしても、結局時間はかかり、体は疲労するということだった。それから、考えない事にし、ひたすら、目の前の事を片付けることに専念した。



その事で私は、百姓仕事は、唯コツコツと根気良くやり続けることでしかないと悟った。それは後年分析の勉強に生かされた。三十年以上未だに、同じ本を読んでいる。唯読むだけで、技術も勉強の仕方に進歩も進化もない。

しかし、文明科学は年を経て進歩し、労働力だけが頼りだった農業は、今や自動運転のトラクターや、コンバインすら実用化されようとする所まで進歩した。結局何も考えないで作業する、私の昔の作業と全く同じだ。唯一つ異なる処がある。それは無心になって体を動かすという、悟りは得られないことである。

今は、スイッチをONにするだけで、後はマシンがプログラム通りに間違えることもなく、怠けることもなく、唯黙々と作業する。その電源がOFFになるまで。
すると人間の役割とは何だろうか。
思考はPCが代りにして、作業はロボットがして、設計も開発も管理もPCがし、人は唯それをモニターしているだけの、PCの添え物になってしまう。

私は考えないから、考えることを学んだ、
それは実は、おやじが、良く「考えろ!」と言ったからだ。
今もその声がリフレインしている。

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