《引っ越し》徒然草-15

開け放たれた窓から、爽やかな初夏の潮風が吹き、入ってくる。
27歳、鎌倉に移り住んだアパートの休日の朝のことである。京都から移り住んで間もない頃の、新転地で感じた新鮮な気分と匂いだった。これから、ここで新しい人生の始まりだ! と意気込んでいた、青春時代の精華であり、リグレッタブルでもある。一抹のリグレットを持ちつつも、必死に前を見ようとしていた。

京都から鎌倉へ、特別都を追われた武士の敗北感と再興の野心もなく、唯、海の近くに住みたかっただけで、鎌倉にした。
生まれ変わる代りに、住み換えるという、CMのキャッチコピーがあったが、事実その通りで、人生の転機に、私は良く引っ越しをする。或る作家、一年かそこらの僅かの間に、30数回引っ越したという話があるが、それは尋常とは言えない。
しかし、狂気の沙汰とも言えない。それだけ自分の居場所を探していた、情熱の証であるから。
それにしても、その作家は住むことに、何を求めていたのか、関心はある。きっと環境や住み心地ではなく、原稿に向かって机に向かい、ペンを走らせた時の、そのペンの運びがスムースでなかった異和感である。
勝手な推量で、真偽のほどは定かでないのは勿論だが、原稿をPCでなく、ペンで書く私には判る。書くテーマに相応しい風と光、匂いと音が、それ成りに在るのだ。それは何かは言語化できないが、脳が知っている、求める空気がある。
その様に、仕事には、その仕事に相応しい環境がある。
木工職人や、農家、養蜂家、天文学者等々、それぞれの仕事が求める場所がある。物書きにも、ペンと紙だけあれば、どこでもいいといえばそうなのだが、そのテーマを書くとなると、事はそうはいかない。

川端康成が『伊豆の踊子』を修善寺の旅館で執筆したように、作家は旅館やHOTELを好む。それは、個室性である。誰のじゃまもされず、独りになって集中できるからである。「孟母三遷の教え」があるように、孟子は母の知によって生まれたのである。
人は環境によって育つことは、自明の理といえる。
子は母という環境の下、いか様な人間にも成るのである。
人の最初の棲家は、母の子宮である。
作家が30数回引っ越したのも、私が生まれ変わるために棲家を変えたのも、
すべては、私の理想とする母を求めていたからなのだ。
精神分析家 蘇廻成輪