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分析者の徒然草  ブログ 

《侘び》徒然草-13

コロナウイルスの影響で家に居る時間が長くなった市民生活は、ライフスタイルの変容を求められているというが、私の生活に全く変化なく、コロナ禍は別世界の出来事の様に思えて、唯の傍観者になっている。

基本的生活において、人に会わない、会食しない、外出しない、唯々セラピールームと自宅の往復のみで、友人もない為に、遊びに行くことも、スポーツすることもない。
故に他者と会話することもない。市中の仙人の様な生活をしている。そんな引きこもりの様な生活を28年しているが、一向に飽きず、ひたすら充実した日々を送っている。

そんな私にも些かな気分転換がある。それは音楽と、DVDを鑑賞することである。DVDはホームシアターの100インチ画面で、音楽LIVEを観るのである。この中で最も好きなDVDがある。

それは、1981年9月19日ニューヨーク・セントラルパークに53万人を集めて行ったサイモン&ガーファンクルの唯った一度の再結成コンサートである。



それは、公園緑化運動に協力する、無料チャリティ―コンサートなのである。
ニューヨーク市長の挨拶に始まり、二人の美しいハーモニーの曲が途切れなく続き、後半アート・ガーファンクルの『明日に架ける橋』を熱唱し終えた後、右手は拳をつくる、小さく腰に引きつけるガッツポーズをした、あの瞬間がたまらなく好きで、何度も観る。
53万人の聴衆の熱狂の渦の中で、あの小さなガッツポーズほど可憐なものはない。絶叫で応えるでもなく、少し微笑み、少しだけ心をみせる、あの奥ゆかしさこそ、「侘び・寂」の極致である。

昂る情動を爆発させるエネルギッシュな表現も、それはそれでダイナミックで雄雄しいが、ガーファンクルのあの小さなガッツポーズに秘められた彼の心の凝縮された結晶したエネルギーは私を密かに力付けてくる。
秘めた力を内在化できる人は、何を控えめなのだろう。
力まずに生きたい。
自然で在りのままで、見栄もはらず、力説もせず、憂えることなく、絶望せず、淡々と、そして黙々と寡黙に生きていきたい。そんな人生を送りたいものだ。

これは大して意味のないことだが、このLIVEの開催日は、私の誕生日の翌日である。
私もいつかこんなガッツポーズが出来るシーンを迎えたい。「やった!」と小さく呟きたい。
そして、涙を一つぶ流してみたい。



 

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