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分析者の徒然草  ブログ 

《夕日》徒然草-12

 

♫ 時をこえて君を愛せるか、本当に君をまもれるか ♫

と小田和正氏の唄が頭の中を風のように流れ、口ずさんでいることが度々ある。
人生の中年期ならばいざ知らず、晩年になると愛する対象は一つ一つ消え、守るべきものも一つ一つ失っていく。

人は無一物になっていくだけの時を過ごしているだけの虚しい存在である。
が、そんな無に帰するだけの人生に何か一つぐらい遺せる確かなものはないだろうか。永遠不滅なものを求めたくなる。

常住不変なものはなく、すべては生生流転し流れ去っていく。時は現象を運ぶ、気紛れ伴走者だ。

結局常に寄り添ってくれる友は、居るのだろうか。片時も離れず傍に居てくれる存在はあるのだろうか。それは掛替えのない友人である。共に語り合い、切磋琢磨し、共に向上し、成長できる友がいるなら、それは幸運な人生と言わざるを得ない。

それは青春時代に不可欠な存在である。それは、天才数学者チューリングの友モーコムの様な存在である。
しかし18才で友は死に、チューリングは終生孤独のままだった。彼は人工知能を考えた創始者である。最期は精神病院で自殺してこの世を去った。享年41だった。天才か凡夫かに関わりなく、人は与えられた体と知と時代を生きて行かざるを得ない。

立ち止まることなく、その終焉の時まで、歩み続けなければならない。太陽が西に沈んでいく様に、人は闇に向かって歩んでいる。

27歳の夏、私はカーフェリーのデッキに立ち、沈みゆく太陽を、赤々と燃える空の夕焼けと、その太陽にカメラを向けていた。出版する本の表紙を飾る夕陽を撮りに行った取材旅行のワンシーンである。山や谷、川に沈む夕陽を撮っていたが、ベストショットに出会えず、到頭帰路のカーフェリーに乗っていた。その海を滑るように進む船から眺めた夕陽こそ、私が求めていたそれだった。刻々と空の色を赤く濃く染めていく夕陽を撮りまくった。その夕陽は古代人も、平安人も、江戸の人も、そして今も見ている太陽である。



時が止まり、それこそ、今見ている太陽こそ確かなものである、と気付いた。その時、宇宙誕生から45億年の時が、一瞬という永遠の中に閉じ込められた。

その時、私は永遠と一つになり、最高の友を得た。

 

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