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分析者の徒然草  ブログ 

《儚き夏》徒然草-11

夏は儚いものの饗宴の季節である。
蛍の明滅する緑の灯に始まり、蝉の鳴き声もミーン.ミン.ミン.ミン.ミー、カナ.カナ.カナ.カナ、ジー.ジー.ジーと合唱しながら、いつしか地中から出てきて僅か10日前後でその一生を終る。

実は蝉の寿命は中学生のある観察結果によれば、最長30日生きた蝉がいるらしいと、夏休みの研究の報告をラジオかTVで報じていた。いずれにしてもそれは短い。夏の終りを告げて、土に戻る蝉は、私のシンボルである。それは・・・・、その前に、もう一つ夏の儚さの象徴といえば、花火である。

私の住むK市でも毎年2万発の花火を荒川の土手で、打ち上げる。それは子供時代の夏の風物詩で、夏休みの解放感と共に、心を非日常的にする言うに言われぬ特別感をもたらす。数秒で消えてしまうあの目眩く、極彩色の光の饗宴は、余りに潔く、余りに苛烈なまでの美しさであろう。

一瞬の煌めきを現わして、直ぐに消える花火は、桜が咲き散っていく儚さに、日本人は何故か感傷的に心を惹かれる。ある種の生と死をそこに見、死生観を形成する。それが日本民族の血の中に、DNAに刻まれたのは何故だろうと、花火を見ながら、いつも考える。

四季を持ち、その下で農耕を営む定住民族には、常住不変なものは常緑樹くらいで、他のすべてのものは、季節が回りながら自然の姿を変えていく。別れと出会いを四季の変化から学ぶのは、当然のことである。
外国を旅して想うことは、何と日本は緑と水に恵まれた、潤いのある、生命感の横溢した、自然の豊かな国であることの感嘆である。豊かな自然と四季は、野菜、果物、海産物と美味な食材にも恵まれ、剰え、平和である。こんな様々な面で恵まれ、守られている国は他に無い。

であるが故に、人は何の為に生きるのかの問いが生まれてしまった。今日を生きるのに必死な外国では、その問いは生じない。経済的に繁栄した豊かな生活を送っている欧米と日本くらいであろう。しかし、それが為に、心を病む。豊かであるが故の苦しみを知った私は、精神科学を世に出そうと決意した。

それは北アメリカの「17年ゼミ」よりも遅く、25年地中に埋もれたまま、じっとその時を伺っていた。私はこの儚い蝉のように、下積み25年の「25年蝉」として、今、鳴いている。

それが儚いことと知りながら、止むに止まれず、地上に姿を現わしてしまった。

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