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分析者の徒然草  ブログ 

《泥沼》徒然草-10

音楽は麻薬である。
心を魅了し、陶酔させ、それをいつまでも持続し、何度も反復欲求を生じさせるからである。

しかし、アディクション(耽溺)と異にするのは、同じ常習性にしても純粋な麻薬と同様、病的な常習性である、禁断症状と過剰摂取に幻覚作用を伴わないことである。

音楽は、殊にclassicは、音のハーモニーとメロディー、リズムが心を躍動させ、命を安らかに包み、時に鼓舞し、天国へと連れていってくれる。そこがどうして天国なのか。それは心の平安と歓びと高揚、そしてそこに神を観るからである。

この神は、時間が美しいメロディーで埋め尽くされた至福感である。この至福の時を求めて音楽に聴き入る。それはLIVEでしか得られないのは判っているが、毎日LIVEに出向くことは出来ず、家庭に居ながら、その至福の時が味わえないだろうかと考えると、レコードをいい音で聴くオーディオの世界に足を踏み入れるしかない。この世界がどんな世界か、当時の私には知る由もなかった。

1枚のレコードを聴くのに、オーディオ界ではそれを再生すると言うが、それにどんな機器が必要かも知らなかった。簡単にそれを紹介すれば、先ずレコードを正確に回すターンテーブルに、その溝をトレースするカートリッジとそれを支えるアーム。以上を総称してプレーヤーと言う。

これには、その微弱な電流を整えるアンプに音の出口のスピーカーが必要である。こうして私は各機器のグレードを上げつつ、オーディオとBACHにのめり込んで行った。主体は音楽を聴くことで、オーディオだけに傾注してしまうことはなかった。

しかし、この世界に終わりはなく、果てしなく、マニアは音の求道者の如く、一心不乱にその道に向かう。お陰で、私はそれと並行して、BACHにのめり込み、遂にライフ・ワークを得た。

それは、BACHのカンタータ(※) を全曲聴くである。
その全曲録音の大偉業を成し遂げた鈴木雅明氏のBACHへの泥沼の愛に触れることが、
私の一生の目標になった。

 ※J.S.バッハ : 教会カンタータ全集  鈴木雅明&バッハ・コレギウム・ジャパン

 

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