《遺書》徒然草-9

夏の暑い、こんもりとした木立の奥に、静かにひっそりとした建物があり、その中に入る。
そこには、想像を絶する異次元の世界が在った。

そこは、東松山に在る「丸木美術館」だった。
身長より高い屏風に描かれている、墨と朱の赤と血を流した、
山の様に積まれた裸の夥しいほどの死体は、地獄そのものだった。
この世に有る筈のない状況を、今眼の前にした時、私はじっとそれを見ていた、
何の感慨も抱かずに、その地獄絵図の前に佇立していた。
唯その絵が「地獄」を表わしていることだけは判った。
私は私の心の中の地獄と向き合っていた時期で、それを投影し、同一視するのは容易だった。
何故なら、その頃私は「遺書」を書いていたからである。
それを書くことになった経緯は、
小説家になろうとしたが、その才が無い事に気付き、断念・放棄した二十四歳の折、
私はこの世と自分自身との訣別のために、それを認めた。
何故二十四歳かは、三島氏がエッセイの中で、作家デビューを色々な人で調べたら、
そのほとんどが、その齢だったと書いてあるのを目にし、私もその歳を目指していた。
が、当然ながら、そんな才がある筈もなく、呆気なく死ぬことになり、
私はその後の人生を「余生」と決めた。
それを三年続けた或る日、気付いたら一過性の分裂病の中に居た。
それは神との交流で「天国」だった。
幸運にも三ヶ月でそこから脱出できたが、その時の異常な体験の原因を知りたいと思い、
その思いが精神の科学と出会わせることになった。
それは『精神病の構造』(藤田博史著)だった。
私はこの本に救われ、天国から現実界に舞い戻ることができた。
私に第二の人世をもたらしたあの遺書は、所在不明である。
精神分析家 蘇廻成輪