《私淑》徒然草-6

高校時代から、思えば高崎線は我が書斎だった。通学の車中で本を読み、思索し、思い巡らし、哲学していた。特に青春の命題である「愛と死について」、そして「絶望は死に至る病」とか、「存在と無」、「意志と表象としての世界」等々、独り、車窓を流れる景色をボンヤリ眺めながら、止め処なく拙い論理を展開していた。
そして思索に行き詰まった精神は、小説へと流れていき、そこで三島由紀夫と出会った。
それは単なる偶然で、知人から「この本おもしろいよ」と言って手渡されたのが『潮騒』だった。その小説のどこに心惹かれたのか、今となっては定かではないが、
青春の淡い恋とか、冒険譚、ギリシャの青い空と白い家、アルカイックと言った風情が、何の取り柄の無い自分にとって仄かな色合いと、甘いエモーションを掻き立てたのかもしれない。
平凡で退屈な車中が、三島氏の描く文字の舞踏会に酔いしれるファナティックな場に、魔法のように変貌したのである。
『歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。』の冒頭書き出しと、最後の一行『彼はあの冒険を切り抜けたのが自分の力であることを知っていた。』だけは何故か印象に残った。
その頃の私は、自力も他力もなく、全くの無力感の中に居た。最後の一行は強く、私の心を打ったに違いない。以来、私は三島氏の小説他、あらゆる著作物を読み漁った。それは、『豊饒の海』を読破するまで続いた。
三島氏が私に教えてくれたのは、漢字である。それは、「辞書を愛読書にしなさい」という氏の言葉からである。私は三島氏に私淑したことで、救われ、勇気づけられ、今がある。
読み終えた日付をみると、’75年4月4日だった、それは、『潮騒』擱筆の日付けと同じだった。
精神分析家 蘇廻成輪