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分析者の徒然草  ブログ 

《静寂の蛍》徒然草-5

朝の目覚めは、静寂と夢の反芻から始まる。嫌な気分だったとか、恐かったとか等、あまり後味の良くない事が多い。ひとしきりそれがなされた後、さて起きようかと決意し、床を離れる。
その後は、休日と仕事の日では全く異なる。どう違うのかと言えば、休日は軽快に爽やかに、心は解放的に空に向かって放たれる。

仕事の日といえば、心は無である。何もなくスーッと起き上り、いつものルーティンに従い、洗面、食事、身支度にと淡々と粛々と進む。そしてハンドルを握り、仕事場へと向かう。アクセル踏み、ブレーキを操作し、ハンドルの切れ方と対話しながら、静かに前方を眺めながら、ボンヤリ、しかし、全体に注視しながら走る。
心は何処にあるかといえば、今目の前に繰り広げられ通り過ぎていく風景と共に、後方へと消え去り、心は何処にも無い。
この無の心こそ、分析の面談に際して最も求められる分析者の姿勢(スタンス)なのである。

それはとまれ、休日は唯々軽い。何もかも、心も体もすべてが軽い。これは仕事から解放された軽さではない。何故なら、仕事中は心が無い、即ち無重力なのだから、重さからの解放はむしろ仕事中の事である。

休日の軽さとは、敢えていえば、重力を感じる羽根になった軽やかさの感覚にいる存在の重さである。この重さこそ、生きている実感である。私が私で十全的に在り得る瞬間である。
休日の24時間は、私にとって一瞬なのである。仕事の時間は、唯々、真理に触れ続ける感動の連続なのである。換言すれば、私は一瞬の存在であり、真理は永遠なのである。
私は、一瞬と永遠の狭間に明滅する何者かでしかない。

あの夏の一時、夜の闇の静寂(しじま)に明滅する蛍こそ、私なのかも知れない。
今年も又、詩涌碑庵の前を流れる小川の雑木林の中を飛び交う姿をみることはなかった。

 

 

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