《花の色は変われど心はいつも一つ》徒然草-3

紫陽花は春の季節の色をすべて含み、梅雨の水滴を真珠のネックレスのように葉にまとい、
キラッと輝いて揺れる。
一瞬のその呟きに、ハッと視線を送り、穏やかで清楚な佇まいに、女性のしとやかさをみる。
そんな6月は、心静かであると共に、梅雨時の多湿な重い空気に、心も重くなりがちである。
日本は四季が四枚の屏風のように折節が明確にある。
潤いと情感の国だと、カリフォルニアの青い空と対比させては、いつもそう想う。
どちらがいい悪いでも、好き嫌いでもなく、唯 日本は、水と緑の楽園なのだ。
温暖化が進み、より高温多湿な亜熱帯に日本もなってしまったが、それでもまだ季節は巡る。
一花、一葉、一雨、一雪、を味わっておきたい、四季があるように。
人生にも折節がある。入学、卒業、入社、結婚、出産等々。節目節目に人は何かを決意する。
特に子供から大人へのシフトを儀式化した成人式に、何か心に想うことはないだろうか。
私は成人式のその日、信仰心も何もない時だったが、何故か仏壇の前に独り座し、位牌がいくつか並ぶそこに向かって、心の中で呟いていた。
「僕は人間について考えていく。」と。自分の事だが、今振り返ってもあの日の決意?宣誓?覚悟?判らないが、はっきりそう心の中で言った事を鮮明に憶えている。
それが私の生きる意味だとした事は確かである。
その後私は大学に行きながら、学校の勉強はせず、ひたすら図書館にこもって哲学書を読み漁った。その結果、大学は中退になった。
その後の人生は、唯々人間とは何か、生きるとは何か、
生まれて来た訳を問い続ける日々になった。そして今は、その問いの答えを得た。
それは「同行二人」である。
精神分析家 蘇廻成輪